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大阪高等裁判所 昭和26年(ネ)861号 判決

控訴人(原告) 黒田静一

被控訴人(被告) 国

主文

原判決を取消す。

尼崎市潮江字アラキ一二番池沼一反一畝二一歩、及び同所一三番池沼二反五畝一五歩に対し兵庫県知事が昭和二五年一二月一六日為した買収処分による被控訴人の所有権取得が無効であることを確認する。

訴訟費用は第一第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文と同趣旨の判決を求め、被控訴代理人は本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、

控訴代理人において、

本件池沼(以下小池と称する)の買収申請人上田善三郎、辰野広太郎、小畑喜一郎が売渡しを受けた所謂解放農地のうち直接又は間接に小池の水によつて灌漑し得るのは、辰野広太郎の潮江字アラキ一〇番地、田、一反一畝〇九歩、小畑喜一郎の同所八番地田、一反歩及び同所一〇番地田一反一畝九歩の三筆合計僅かに三反二四歩に過ぎない。小畑喜一郎の字才加畑、辰野広太郎の字高内の田地は本件小池から遙かに離れた場所に在つて到底小池の水を利用することができないものである。従つて仮りに小池が農業用施設であるとしても僅かに三反歩余の解放農地の利用のためと称し、解放農地の面積よりも広い三反七畝六歩に達する本件小池を買収するが如きは公法上の権利濫用に外ならないものであつて無効というべきである。なお被控訴人主張のように本件小池とその南の大池との水が一体をなして灌漑に利用し得られるとしても、本件小池の買収は前記上田善三郎等三名の解放農地の利用に必要であるとの理由によつて為されたものであるから、その余の農地についてはこれを論じる要はないのみならず直接間接に利用し得る農地はせいぜい字アラキにおいて四反二畝一五歩字東ソウゲにおいて六反七畝一八歩、字才加畑において五反一畝二歩、字高内において一町一反八畝四歩、総計二町七反九畝九歩で、そのうち旧自作農創設特別措置法により売渡を受けた解放農地は字アラキにおいて三反二四歩、字東ソウゲ四反五畝歩、字才加畑一反一畝一五歩、字高内二反二畝一八歩、総計一町七畝二七歩である。被控訴人主張の字、西ノ坪、上佃、下佃、新家、明治、ヱソコ、地区方面は地勢上から到底本件小池及大池の水を利用し得ないし強いて利用しようとしてもその経費が莫大で収支が償わないものである。と述べ

被控訴代理人において

本件小池の水はその南側に在る大池の水と一体をなし附近農地の灌漑に利用せられていたもので、これを利用する農地は潮江字アラキ、東ソウゲ、才加畑、高内、西ノ坪、上佃、下佃、新家、ヱソコ、の各地区に亘つて総計約一四町四反歩余で、うち買収の行われた解放農地は総計八町五反歩余に達するもので、本件小池が農業用施設であることは明らかである、と述べ

た外いずれも原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

(証拠省略)

理由

尼崎地区農地委員会が訴外掛井九蔵外一六名の昭和二五年五月二日附買収申請に基づいて控訴人所有の本件小池(公簿上尼崎市潮江字アラキ一二番地池沼一反一畝二一歩、同所一三番地池沼二反五畝一五歩)を農業用施設と認め、旧自作農創設特別措置法第一五条による買収計画を樹立したところ、控訴人から異議訴願を提起した結果、兵庫県農地委員会は同年六月三〇日右買収計画を取消し該裁決は確定したこと、その後尼崎地区農地委員会は前記掛井九蔵外一六名の買収申請人中上田善三郎、辰野広太郎及び小畑喜一郎の三名の申請を相当と認め更に同年九月九日右小池について買収期日を同年一二月二日とする買収計画を樹立し、兵庫県知事はこれにもとづいて同年一二月一六日付買収令書を控訴人に交付して買収処分をなしたことは当事者間に争のないところである。よつて控訴人が本件買収処分が違法であると主張する事由について順次検討する。

第一、前認定のように本件買収処分の基礎となつた買収計画は掛井九蔵外一六名の申請に基づく当初の買収計画が訴願の裁決により取消された後右の申請人中上田善三郎外二名の申請のみを相当と認め再度樹立せられた買収計画であつて、成立に争ない甲第五号証によると当初の買収計画は尼崎地区農地委員会に於いて申請人一七名が潮江部落を代表したものと認め、個々の申請人について買収申請の適格を有するか否かに顧慮するところなく樹立したものであることはこれを窺知するに難くはないが、成立に争ない乙第一号証によると前記掛井九蔵外一六名が潮江部落を代表して買収申請をしたものと断定し得ないから、地区農地委員会において新たな買収申請によることなく、さきの見解を改め右申請を個々の申請人が共同して買収申請を為したものと認め、これ等多数の共同申請人中その適格を有するものと認める者のみについて再度買収計画を樹ててもこれをもつて違法ということはできない。けだし、前記訴願の裁決は単に当初の買収計画を取消す効力を有するだけで、右買収申請をも無効とするものでないからである。

第二、次に控訴人は前記上田善三郎外二名の買収申請は解放農地の売渡を受けた後一年以上経過後のことでこれに基く買収計画は違法であると主張するが、此の点に関する当裁判所の判断は原判決理由に示すところと同一で控訴人の右主張は採用し得ないからこれをここに引用する。

第三、本件買収処分が法第八条第九条第一項に違反するとの点について考えるに、本件買収令書は昭和二五年一二月一六日附で発行せられたことは前認定のとおりであつて、右買収令書が控訴人に送達(交付)せられた日時について控訴人はこれを其の頃と主張し、被控訴人は昭和二六年一月一〇日以後と主張する。而して買収令書交付の事実及びその日時については買収処分の有効になされたことを主張する者においてこれを立証すべきものと解すべきところ、被控訴人提出の成立に争ない乙第二号証によると尼崎地区農地委員会から控訴人居住地の呉農地委員会長に宛て昭和二六年一月九日書留郵便を発送した事実はこれを認定し得るが、右郵便物が本件買収令書であることを確認し得る何等の資料がない。のみならず、一方再度の買収計画に対する控訴人の訴願に対し兵庫県農地委員会が棄却の裁決を為したのは昭和二五年一二月二六日であることは被控訴人の自認するところであり、又右買収計画に対する兵庫県農地委員会の承認は同年一一月三〇日前記訴願の棄却裁決あることを停止条件として為されたことは成立に争ない乙第四、五号証によつて推認し得られ、且つかかる停止条件附の承認もこれを無効といい得ないから、結局右買収計画に対する承認の効力は同年一二月二六日発生した筋合であつて、従つて以上の事実によると、本件小池に対する買収令書は買収計画に対する訴願棄却の裁決並びに承認のある前既に発行せられたものであることが明瞭である。思うに知事の為す農地等(法第一五条の附帯買収をも含め)の買収処分は買収令書を被買収者に交付して為されるものであるが、令書の交付行為のみが知事の買収処分ではなく、先ず知事において買収の意思決定を為し、これを文書(買収令書)に作成して被買収者に交付する一連の手続によつて買収処分が為されるものであるから、買収計画に対する訴願棄却の裁決並びに買収計画承認の為される以前に、知事が買収の意思決定を為し買収令書を発行するが如きは法第九条に違背しその手続に重大な瑕疵があるものといわねばならない。けだし、法第九条が訴願裁決買収計画の承認のあつた後知事が買収処分を為す旨を定めた所以は、地区農地委員会の樹立した買収計画に対し訴願、承認等上級官庁たる都道府県農地委員会の審査の段階を経た後でなければ知事に買収処分を為す権能を附与せず、もつて国家の権力によつて私人の財産権を一方的に買収するについて慎重な配慮を期したものと解すべきであるからである。従つて仮りに本件買収令書が被控訴人主張のように訴願の裁決並びに承認の為された昭和二五年一二月二六日以後において控訴人に交付せられたとしてもこれによつて右の瑕疵は治癒せられるものとはいい得ない。

第四、本件小池が農業用施設と認め得るか否かについて按ずるに、成立に争ない甲第三号証、第七号証、第八号証、第一〇号証の一、二、乙第一号証、記録添付の登記簿謄本原審証人竹本稀作、小畑喜一郎、岡村信邦、上田善三郎、坂本太三郎、当審証人中川勲、岡村末太郎の各証言並びに当審検証の結果を綜合すると、

(一)、本件小池はもと訴外橘千代蔵及び蔭山志な所有の田地であつたが、大正の末年頃省線神崎駅附近の地上げをするため表土を掘取つた跡が雨水等によつて自然に池となつたもので、其の後公簿上橘千代蔵所有、潮江字アラキ一二番池沼一反一畝二一歩、蔭山志な所有同所一三番の一池沼二反五畝一五歩、橘尚志所有同所一三番の二池沼二畝一三歩となつていたが、昭和一四年控訴人は石炭ガラ捨場とする為め右橘千代蔵、蔭山志な所有分を同人等から買受けたものであること。

(二)、右小池にはその北側に以前から本件土地及びその西方の田地に灌漑するための小溝があつて、右小溝から引水することはできるが別段引水設備を施したわけでもなく、又南側において数尺を距てて大正五、六年頃盛土用に表土を掘取られた跡が自然に池となつている通称大池との境が欠潰等のため自然小池の水が大池に流出するようにはなつているが、特に放水又はその調節をする設備もなく掘跡が自然に池となつた姿の儘で放置せられてきたものであること。

(三)、本件小池の東側には池に臨んで家が建ちならび北方には前記小溝があり、池の水を灌漑用に直接利用し得る農地は小池の西方にある字アラキ一一番、一〇番、八番の数筆(此の内に買収申請人辰野広太郎の解放農地一反一畝〇九歩、小畑喜一郎の同一反九畝一五歩があることは弁論の全趣旨に徴し当事者間争のないところである)であるが、右田地は池の表面より数尺高位にあるため、これ等の農地に灌漑するにはポンプ又は水車によつて揚水するのでなければ利用出来ない関係にあり、更に小池の水を南側大池の水と一体として利用するとしても附近一帯は平坦地で池の水面が田地よりも低位にあるため同様ポンプ又は水車によらねばならないし、これによつて灌漑し得る農地面積に比し、その経費が多額で到底収支償い難いものであること。

(四)、旧来潮江部落の地主は大井水利組合に加入し猪名川支流大井川の水によつて農地の灌漑をして来たが、大正時代から急激に工場地帯化し耕地が激減し水利費の負担が加重せられる一方一帯に低地で大井川の余水だけで賄えるところから昭和一二年頃右水利組合から脱退するに至つた有様で、本件小池の水も夏時旱魃の際又は苗代時などに時たま揚水せられて西方の田地に利用せられる程度で常時灌漑用に利用せられていたものでないこと、

を認定するに十分であつて、以上本件小池形成の由来、その地勢的諸条件、池水利用の状況等から観るときは本件小池は到底これを農業用施設と認めることができないから農業用施設と認めてなした本件買収は違法というべきである。

第五、仮りに本件小池を農業用施設と認め得るとしても、前認定の池水利用の状況からみて明らかなように、本件買収申請人中辰野広太郎及び小畑喜一郎の字アラキ(池の西側)に存する解放農地計三反二四歩にとつては旱魃時又は苗代時などに利用し得られる程度において有るに越したことはないが、小池がなくとも右農地の耕作に支障を来すものでなく、まして申請人上田善三郎の字才加畑、同辰野広太郎の字高内にある解放農地は本件小池から大池を距てて遠距離にあり直接小池の水を利用し得ない関係にあることは前記甲第八号証当審検証の結果によつて明らかであつて要するに、前記申請人中辰野及び小畑の字アラキに存する解放農地にとつても本件小池の必要度は極めて軽微なものというべきで、このことは成立に争ない甲第三号証によつて明らかなように本件小池と一体をなしている橘尚志所有部分については同人の異議申立を容れ、尼崎地区農地委員会は池の東側にある住家の保存のため埋立の必要があるとの理由で買収計画を取消した事実によつても容易に観取し得られるところである。従つてかかる僅少の必要度を理由として解放農地の面積以上に及ぶ本件小池を買収することは著しく不相当な処分といわねばならない。

以上説明するとおりで本件小池の買収処分には右第三乃至第五に示すような違法が相集積し、その瑕疵は重大であつて到底行政処分としての効力を生じ得ないものというべきであるから、右買収処分による被控訴人の所有権取得の無効なることの確認を求める控訴人の本訴請求は理由がありこれを認容すべきである。

よつて、これと反対の原判決はこれを取消すべく、訴訟費用の負担について民訴法第八九条第九六条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 吉村正道 大田外一 金田宇佐夫)

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